聖なる音が感情を変容させる

チャンティングは心の重荷を取り除いてハートを開く、すばらしい方法です。チャンティングしていると、平安になり、至福を感じるでしょう。しかし、時折、抑圧していた感情が浮上してくるかもしれません。隠されているものに光をあてて露出させ闇を照らし出すため、エックハルト・トーレがペイン・ボディーと呼んでいる、わたしたちが向き合わずに抑圧してきた感情的な痛みの蓄積と出会うかもしれません。幻想から真実へと目覚めはじめると、幻想が剥がれ落ちていくため、霊性の伝統では魂を覆う暗闇というように表現されているように、痛みを伴うプロセスともなり得ます。それらは常に快適だとは言い難いですが、これこそが自由への唯一の真の道なのです。

手の上で熱い石炭が燃えていることに気づかないと、わたしたちは手放すことはできません。同様に、習慣的に萎縮してハートを閉ざしている方法を認識しない限り、自分たちの物事の見方を変えて、ハートを開くことはできません。わたしたちが自分自身のあらゆる側面をあるがままに受け容れるとき、わたしたちの痛みは美しさに変わり、暗闇は光に変わるのです。

トーマスの福音書には、「あなたが内に秘めているものを明かすと、それらはあなたを救うでしょう。あなたが内に秘めているものを明かさないと、それらがあなたを滅ぼすでしょう」と伝えらえています。わたしたちが常に悲しみを否認すると、悲しみは石灰化して他の問題を引き起こしかねません。 また、わたしたちが自身の内なる光と美を抑え込んでいると、これもまた、わたしたちの魂を押し潰すことになりかねません。そのため、わたしたちは定期的に心の重荷を軽減し、感情的で精神的な健康に気を配る必要があるのです。

バクティ/ハートの道は、悲しみと恐れの感情を抱いた自分自身を非難する代わりに、それらの感情をとても神聖なものだととらえます。わたしたちの感情は悪いとか、誤っているというものではありません。チャンティングはわたしたちの痛みという堆肥を、花へと変えるメディスンであり、ハートの周りの鎧をやわらげることができるのです。音楽と歌によって、エゴやマインドの習慣的な緊張を伴うパターンがリラックスするため、スペースができると、判断せずに感情と向き合うことができるのです。

時間の始まりから、マントラを唱えるチャンティングや聖歌は、祈りの形式として用いられてきました。言葉では十分に語ることができないときに、表現できないものを表現するのに有効だからです。歌うことや、音楽を聞くことによって、わたしたちは個を超越し、内面の深いところからの呼びかけを解放させます。音楽は魂の切望を目覚めさせるので、チャンティングや聖歌はわたしたちに深いところからの呼びかけを思い起こさせるのです。実を言うと、わたしたちの深いところから生じる歌や、わたしたち自身の内なる光のほかに、わたしたちは何を切望しているのでしょうか。スーフィーのマスター、ハズラト・イエナト・カーンは”わたしたちの全存在は聖なる音そのものです”と語っています。そうであるとしたら、わたしたちが誰であるのかを思い出すために、音や音楽を用いることは適切だと思えませんか。ほとんどすべての霊的な伝統において、チャンティングは重要な役割を担ってきました。錬金術のように、反復する音は、痛みを伴う感情を手放すのに役立ちます。

感情を否定したり、抑圧したり、避けたり、押し退けたりする必要はありません。感情に抵抗せず、たとえ何を感じていようとも、表層に浮上してきた感情を受け容れて、音の流れに捧げて手放しましょう。チャンティングしていると、ストーリーの中でさ迷うことなく、あなたはあなたの影と光を音の流れに捧げることができるでしょう。感情のエネルギーが暴風雨のようにあなたの中を通過させるようにすると、感情は叡智や明晰さや慈しみや創造的なエネルギーという有益なものへと変容していくのです。ただマントラを繰り返し続けて手放すだけで、手が込んだテクニックは必要ないのです。