聖なる音/マントラとは

わたしは十代と二十代のほとんどを、世界の神秘の伝統や宗教学を学ぶことと霊性の訓練に費やしてきました。真の幸せを求めていたからです。しかし、当時のわたしは、幸せとは不完全さや欠点のないわたしになることで起きるのだと思っていました。自分を向上させるために努力し続ければ、ある時点で黄金の後光が降りてきて、わたしは永久に幸せになれると確信していたのです。しかし、いくら力を振り絞って努力を重ねても、黄金の後光は降りてきませんでした。その代わりに、わたしは闇へと突入していったのです。

大学院で学んでいたある日、原因不明の病気で目覚め、闇が始まりました。身体が疲労感で衰弱して機能しなくなったのです。そして、わたしは深い鬱へと陥っていきました。この状態が3年ほど続いていたあるとき、友人がタンブーラと呼ばれるインドのドローン楽器をわたしに譲ってくれました。弦を弾いてみると音色がとても心地よく、音を出すたびに、深い悲しみがわたしのハートから流れていくのを感じました。それからわたしは毎晩何時間も練習を始めました。悲しみはまるで長年抑圧されていた痛みのようで、さらに感じると悲しみは変容していき、やがて、わたしの涙はマントラを奏でるメロディーへと変わっていき、わたしは幼少期以来、初めて歌い出したのです。こうして、声が開かれると、マントラを唱えるチャンティングはわたしのメディスンとなり、わたしは癒されていきました。

わたしたちは、傷ついたり痛みを感じたりした時に、そのことから身を守るためにハートを閉ざしてしまうことがよくあります。しかし、いつも痛みを避けると、人生の真の美しさを見逃してしまい、喜びも感じなくなる恐れがあります。わたしたちの感情や、真の自己や他者、自然や地球と再びつながるためには、勇気をもってハートを開く必要があるのです。実は、すべての霊性の伝統は、ハートを安全に開くための教えと技術の提供なのです。その中でも最もパワフルでわたしたちが実際に実践できることの一つがマントラとチャンティングです。

マントラは聖なる音のフォーミュラです。これらの音は誰かによって生み出されたものではありません。自然界にもともと息づいている音を古代の賢者や神秘家たちが瞑想中に受けとり明確に発音して以来、何千年にも渡って受け継がれてきました。そして、今日、わたしたちがマントラを唱えると、マントラはわたしたちの傷を癒し、わたしたちのハートは開かれていくのです。ハートは真の自己が宿るところであり、純粋意識への扉です。わたしたちが聖なる音/マントラを聴くとき、わたしたちはハートと繋がり、深い癒しと内なる平安を体験します。

痛みを伴なう感情は、時にはハートに刺さった破片のように、長い間、埋まっているままとなっています。マントラのパワフルなバイブレーションで、その感情は自然と浮上して解き放たれるでしょう。

マントラは神聖なテクノロジー

人々がマントラを聞いたり、唱えたりするとき、多くの人は馴染み深い音のように感じます。それはマントラが人類のDNAに刻み込まれているかのような古代から伝わる音であり、その潜在意識レベルの記憶がわたしたちの源/故郷を思い出させるからです。
マントラの多くはサンスクリット語が基盤となっています。サンスクリット語のそれぞれの音節には意味がありますが、真の意味はわたしたちの知的な理解を超えています。そして、純粋な波動を持っているため、エネルギーを高め、マインドを静め、わたしたちのハートを開くパワーを秘めているのです。また、サンスクリット語以外にも、チベット語やパーリ語の仏教のマントラもあります。これらのマントラはすべてわたしたちを目覚めさせる能力を秘めた神聖なテクノロジーのようなものと言えるでしょう。しかしながら、わたしたちはわたしたち自身でそのパワーを見出す必要があるのです。

量子物理学では、物質だけでなく思考や感情も含めたすべてがバイブレーションであるとみなしています。マントラはとても純粋なバイブレーションを内包しているため、わたしたちがマントラを聴くとき、わたしたちのバイブレーションもシフトさせることが可能なのです。このプロセスが起きるようにと何かを信じる必要はありません。なぜなら、音は民族や文化を超える普遍的な言語であり、わたしたちの分離感を溶かしていくからです。このようにして、わたしたちが内なる光と恩寵を受け取ることができるようマントラは働きかけてくれるのです。

ごく一部の人たちにとっては、クッションの上に座って宇宙のエネルギーと交わるのはたやすいことかもしれませんが、わたしたちのほとんどは30秒でも集中するのに苦労しています。ヒンドゥ教の哲学は、このための潜在的理由を提示しています。わたしたちはカリユガという物資主義の暗黒時代の真っ只中に生きているため、このカリユガのバイブレーションが、静まり返った瞑想を難しくすると言われています。そのため、わたしたちが必要とすることは、簡単に内面へと入っていく習慣であると聖人たちは語っています。声という、わたしたちが生まれながらにして備えている楽器を用いるマントラを唱えるジュパは、その実践法の一つです。

マントラという言葉は、2つのサンスクリット語の音節に由来します。manas/マナス=マインドと、trai/保護、自由になる、超えるという意味のサンスクリット語で、マントラという言葉は、本質的にはマインドから解放されるという意味です。したがって、マントラはわたしたちがマインドを超えていくのを助けるものでもあるのです。

マントラの音は、わたしたちを今この瞬間へと連れ戻します。音はわたしたちの意識を引きつけるベルのように、わたしたちのマインドに働きかけるからです。無意識的な思考の流れが途切れないときはいつも、ただマントラに意識を向けてみましょう。繰り返す度に、わたしたちのマインドの表面の波は静まり返り、マインドのさざ波の下に広がっている静寂とわたしたちはつながるのです。そして、わたしたちの意識は今へと戻ります。マントラの繊細な音/意味は知性だけで理解できるものではありませんが、最終的には意味の理解は重要ではありません。重要なのは、わたしたちが誰であるかを忘却させる知覚のヴェールを取り除くのに、マントラが役立つということです。チャンティングを通して、わたしたちはわたしたちが誰であるのかということを思い出すのです。

ジャパについて

マントラを繰り返して唱えるジャパは、マインドの絶え間ないおしゃべりを静め、あなたの意識が今へと戻ることにとても役立ちます。これはマインドフルネスのプラクティスと似ていますが、聖なる言葉や神の御名のマントラが、あなたの注意を引き付けるアンカーである点が異なります。

また、バクティ/ハートの道の伝統では、日常で神のことを絶え間なく覚えていることは、ハートを育む重要な方法です。神とは、あなたに語りかけるどのような形態や概念でもいいのです。このジャパの主な目的は、ハートと体を結びつけ、人生で起きていることをあるがままに体験できるようにするためです。痛みを無視したり、人間らしさを回避したりするためのものではなく、わたしたちに内在する困難を乗り越える力やわたしたちの本質を思い出してつながるためのものなのです。ですから、世の中全体が表面的で、偏見や誤った価値観で溢れている時は、これらを覚えていることはとても大切です。

ジャパには呼吸と合わせたサイレント・ジャパのように音楽を伴わないものと、伴うものがあります。リトリートでは、日常で実践できる、様々なマントラを用いたジャパのプラクティスも行います。

マントラで表現される特定の神の姿や皆について

マントラが時に特定の神の姿や神の御名と結びつけられることがありますが、それらの恩恵を得るために、何かを信じることはありません。時に、様々な象徴やイメージが伴いますが、神の御名や姿は最終的にはわたしたちに内在するエネルギーのようなものです。不定形の抽象的なものに焦点を合わせるのは難しいので、神の姿はマントラに共鳴するわたしたちの集中と視覚化をサポートすることができるのです。しかし、マントラの聖なる音とのあなた自身の体験がもっとも重要です。また、必ずしもあなた自身でチャンティングしたり、歌う必要はありません。まずは、聖なる音がどのようにあなたに共鳴するのかを感じて、受け取ってみましょう。ただオープンで、ハートの耳で聴いてみましょう。

リトリートで取り組むマントラの一例

リトリートに参加するためには、歌わなくてはならないと思う必要はありません。リトリートでの音楽の役割の一つは、リスニングとメディテーションのためです。また、リトリート中に、わたしが歌って皆さんをインナー・ジャーニーへ導くこともあり、その間、皆さんは座ったり、横になったりして深い休息をとります。許し、癒し、叡智、慈しみ、そしてインナー・チャイルドの癒し、自己受容/セルフ・アクセプタンス、自分自身への信頼/セフル・コンフィデンスetc...というような様々な目的のために、わたしがシンプルな聖なる音/マントラをチャンティングする機会もあります。その時、皆さんは黙っているままでもいいのです。あるいは、内的にチャンティングしても、または、わたしと一緒に歌ってもいいのです。聖なる音と音楽が、さらなる平安と内なる愛への入り口をもたらします。また、身につけていたマスクを手放してあなた自身へと戻るという、癒しのための安全で美しい雰囲気も聖なる音と音楽が生み出すのです。そして、リトリートの終わりには、日常で用いることができる様々なツールとプラクティスも、あなたは得ているでしょう。

聖なる音/マントラを用いて取り組んでいくテーマの一例です。

真のわたし="それ/THAT"へと深まっていくマントラ
自身をあるがままに受け容れる受容と許しのミュージカル・メディテーション
インナー・チャイルドと再びつながるサウンド・ジャーニー
チベットのマントラを用いた慈しみを目覚めさせるプラクティス
内なる叡智とつながるプラクティス
自然や地球とのつながりを深める瞑想
明け渡しと聖フランシスコの祈り
生きとし生けるものの平安の祈りのマントラetc...

自分は歌を歌わないとあなたが思っているとしたら、チャンティングは自分に合っていることなのかしらと疑問に思うかもしれません。しかし、答えはイエスです!チャンティングはいい声をしているか、歌が上手かどうかということではないのです。あなたのハートについてなのです。深く感じて、あなたの魂の歌を分かち合うことなのです。歌うと自然に無防備になって、感情が浮上するというのはほんとうのことであり、無防備さや傷つきやすさはハートへの道の入り口なのです。そのため、無防備さは怖がらず、歓迎するべきものなのです。ルーミーは語りました。"傷はあなたの内に光が入る場所なのです。"と。チャンティングのときには、恐れや不快感に背を向ける必要はありません。その代わり、恐れや不快感は炎の燃料として、すべてを聖なる音に捧げることができるのです。マントラが繰り返される度に、わたしたちは求めていた愛に近づいていきますが、実は愛はいつもここに在るのですーーわたしたちの内側に。