インドラの宝石の網

わたしたちが前例のない地球規模の災害の時代に生きているのは不思議なことではありません。人が自然界と調和した生き方を選択して来なかったことによって、全体のバランスが崩れているからです。そして、多くの人々と動物たちや自然界はこのために苦しんでいます。わたしたちの役割は、苦しみから目をそらして眠り続けるのではなく、目覚めることです。そして、これがハートが真に望むことなのです。わたしたちのハートは、人生で起きることのすべてを愛し、あらゆるやさしさに触れ、そして、触れられ、いきいきと躍動したいのです。

すべてのスピリチュアルな道の本質を一言で言い表す言葉があるとしたら、それは慈愛です。慈愛からの思いやりはわたしたちを完全に人とさせます。わたしたちはお互いの痛みを感じるように結びつけられているのです。なぜなら、わたしたちは切り離されていないというのが真実だからです。わたしたちの目にはそうではないように映るかもしれませんが、量子物理学と神秘的叡智では、すべてが相互に結びついていることを伝えています。わたしたちは誰一人として例外はなく、壮大な生命の輝く網の中に織り込まれているのです。

大乗仏教の伝統では、インドラの宝石の網と呼ばれる完璧なメタファーを用いてこのことを説明しています。虚空に広がる、あらゆる方向に無限に広がる網のすべての接合部にはそれぞれ宝石があり、これらの宝石は映し出す作業を無限に続け、他のすべての宝石をそれぞれ映し出しているのです。そのため、わたしたちが苦しみを体験していたり、他の人が苦しんでいるのを目にすると、わたしたちの脳のある領域が明るくなり、虚空に広がる網の宝石のように、お互いを映し出します。したがって、真のスピリチュアルな道では、自分が認知できない苦しみは存在しないことになります。

この数十年間にわたり、科学と霊性は驚くべき形で結びついてきました。 ウィスコンシン大学のリチャード・ディヴィッドソンのような脳神経学者は、注意力を向けるトレーニングを通じて、わたしたちはより深い共感と集中力を発達させることができると立証しています。わたしたちが愛に溢れるやさしさを育むとき、わたしたちの脳は実際に変化するのです。わたしたちの不安は薄まり、反応することが少なくなり、自己中心的ではなくなり、挫折からの回復力が高まります。これは、瞑想が単なる利己的な追求以上のものであることを意味します。それは、世界の苦しみを感じ、それに対応する意識的な市民になるのに役立つのです。

この崇高な願望は、仏教の伝統ではボーディーチッタと呼ばれています。ボーディとは目覚め、悟りと言う意味であり、チッタは精神、ハートという意味です。わたしたちがボーディーチッタと共鳴するとき、わたしたちは他者の痛みを自分自身の痛みのように感じます。この痛みは通常は心地よくないため、わたしたちは防御しようとしますが、ハートが開くとわたしたちは無防備になり、他者の痛みを感じるようになります。そして、この無防備さがわたしたちをすべての生きとし生けるものと結びつけ、それを理解し、わたしたちは生きとし生けるものが幸せで苦しみから解放されることを願うようになります。

最終的に、私たちは自分のためだけに存在しているのではありません。私たちはお互いのために生きているのです。仏教の僧シャンティデーヴァが語ったように、「この世界にある苦しみはすべて、私たちの幸せを願うことから生じます。この世界に存在するすべての幸福は、他の人が幸せになることを願うことから生じます。」これが、見返りを求めずに尽くすことがハートを目覚めさせるパワフルな方法である理由です。

Lokah Samastah Sukhino Bhavantuは、「生きとし生けるあらゆるものが平和で幸せになりますように」という意味を持つ、最も重要なマントラの1つです。このマントラのチャンティングによって、自分も含めたすべての存在や自然界に送られるバイブレーションには、計り知れない恩恵があるのです。